ASDとして生活するメリット

今回の記事は自分自身を励ます内容です。何か役立ちそうな情報はありません。興味がなければスルーして下さい。

ここまでストイックに右脳を鍛える作業をやる中で、やっている事は正しいはずなのに、中々、結果が出ない(ように感じる)ので、焦るし、ストレスが溜まります。とにかく一刻も早く右脳を鍛えて、私が囚われている、全ての物事への執着を捨て、どうでも良いと思えるようになりたいと、人一倍考えています。それに、自分のブログなのに、書きたいテーマにも手を付けられず、何の為にブログをやっているのだろうかと思う事もあります(このブログの目的は右脳を鍛える為ですが)。

 

私の努力のコスパとマジョリティのそれが違い過ぎて、圧倒された気持ちになります。何だかもう、自分が何であろうが、生まれ(健康体・能力・容姿・家など、生きるのに有利になる条件)に恵まれていれば、社会で生きていきやすいのだと思ったりします。これらの条件が全て、世間一般で言われる「努力」で克服出来るものではないのは明白です。

 

ASDを改善する作業に一人で取り組んでいる為、良くも悪くも孤独で、相当な根気強さが必要なので、もう会えない憧れの人を思い出して、会いたいと願う事があります。

大分、色々な事に対してのモチベーションが下がっているので、バランスを取る為に、今回はASDとして生活するメリットを書きたいと思います。

 

 

◯買い物が楽で済む

この頃は外出しても、無人レジやタッチパネルで操作して、注文・会計が終わるので、ASDの私にとっては気が楽です。通販を利用すれば、更に時間や手間を省けます。昔は一つ一つ、人を介さないといけませんでしたが、当時と比べると、随分、簡略化されたと思います。

 

◯人とのやり取りがオンラインで済む

テキストのみで済ませる事も出来ます。昔は、昼夜関係なく、いきなり電話が掛かって来たりしましたが、これも昔より簡略化されたと思います。

 

 

今回はASDとして生活するメリットを書き出しましたが、段々、個人の自由な時間が優先されるようになって来たのかと感じます。頭の中のモヤモヤを書き出してみると、「常識」と言われるものは時代と共に変わるように、人が抱える苦しみも、一生続くものではなく、いつか終わりが来るのだと思いますし、そう思いたいです。良くも悪くも、何事も永遠には続かないという事なのでしょうね。

 

私は、ASDの要素を持って生まれ、学生時代のいじめの最中も地獄、その後の人生も更に地獄だったせいか、人との温かい交流(情緒的な交流)を求めていない為、時代が進む毎に生きやすく(前よりはマシになった程度ですが)なりました。一般的な人がどうなのかは、私には分かりません。これから先の人生が、もっと生きやすくなると信じて、今を凌ごうと思います。今回は随分と視野の狭い記事になってしまいましたが、私と同じように、生きづらさを抱える方の困難が、少しでも軽減される事を願います。